2022年5月30日の夜、ミカンちゃんが息を引き取りました。

急性腎不全でした。まだ4歳の若さでした。

お葬式も終わり、少し私も落ち着いてきたので、ミカンちゃんのことをここでお知らせします。

ミカンのことを知っている方全員に電話で連絡するのは、それはまだ到底耐えられそうにありません。

でも、ミカンは世界一の親孝行の子です。私は本当に幸せ者です。

今は寂しくて仕方ありません。

辛いですが、ミカンちゃんのことを知っている方に伝えたいこと、ミカンへ感謝の想いを伝えたいこと、これからもずっと一緒にいることをあらためて感じていることを、ミカンも他の子たちも、私が強く必ず守っていくと約束します。

 ミカンが元気がないのに気付いたのは3月末でした。

 病院へ連れて行って血液検査をしてもらったら、先生も驚くような数値がいきなり出ていました。

 クレアチニンや、尿素窒素の値は、病院での説明は私には受け入れがたいものでした、これが嘘ならどんなにいいかと思って病院を出てから家でネットでも検索したら、本当にどん底に突き落とされた気がしました。

 ミカンはお薬を嫌がりました。ごはんもこの時は好き嫌いこそあれ、まだ何かは食べてくれました。

 1週間ほどは、あまりにお薬を嫌がる姿を見て、何回かは「今日はやめておこうか」という日もありました。

 でも、全然良くならないミカンちゃんを見て、心を鬼にして薬を飲ませました。甘やかして何とかなるものではない、先生からもらったお薬をきちんと飲ませるのが私に出来る唯一のことで、親として最低限の義務なんだから、と。

 病院で点滴をしてもらって帰ってきた日はちょっと楽そうで、毛づくろいをしたりごはんも食べて、という日もありました。

 先生も、「数値が下がって、なんとか慢性の腎臓病くらいにもっていけたらいいんだけど。ミカンは若いから頑張ろう!」とも言ってくれました。この数値が覚悟を要するものであることを理解しておかなくてはならないことは先生の説明からわかっていましたが、そうやって4月は過ぎていきました。

 GW前から週2回の点滴になりました。毎日、2種類の薬をのませたかどうか、おしっことうんちの記録と水とフード、吐いていないかを記録し、必ず薬を飲ませました。嫌がられてもミカンのためだから、他に私に一体何ができるのと思うと涙が出て、ミカンに「ちゃんと食べなさい!」と怒るときもありました。今になって怒ったことを悔やんでもいますが、ミカンは頭のいい子ですからちゃんとわかっていました。あの子も食べないといけないと本人が一番よくわかっていたと思います。

 保護した時から、人懐こいとは言えない子でした。抱っこもできませんでしたが、櫛で毛をとかすのはとても気に入ってくれていました。

病気になってから、自分で毛づくろいもしなくなったので、櫛でとかしてあげると機嫌よくしてくれました。

 5月中旬から、食べる量がガクンと減りました。

 点滴を週3にしないといけないと言われました。仕事があり週3の通院は難しく、呪いたいほど大嫌いな自分の職場をこれほどまで心底恨んだことはありません。あと数年で退職したいと思っていました。新しい人生を、ミカンや他の全員で迎えるんだと思っていました。それだけが大嫌いな職場をいまも耐えている理由です

 ミカンちゃんが病院でも押さえていなくては点滴してくれないので、自宅で私が一人で出来る気はほぼしませんでしたが、腹をくくって、自宅で点滴をすることにさせてもらいました。病院で教えてもらって、ビデオで撮って、家でも通勤電車でもそれを見てイメージトレーニングをしました。自宅ならリラックスしてさせてくれるほど甘くない子なのは、私が一番よくしっていました。何とかしなければいけないときに、ネットで自宅点滴している人のお薦めの保定する袋があり、すぐに注文し、初めての点滴は、その保定袋のおかげで奇跡的に出来ました。緊張で汗で、汗が目に入ってくるほどでしたが、点滴したい一心でした。

 今思えば、これは、ミカンが自分の病状を分かった上で理解し、我慢して私に点滴させてくれていたんだなと思います。これが私の最初で最後のミカンへの自宅点滴でした。この時、点滴できなかったら私が泣きわめくだろうと、きっとミカンちゃんが思ったんだろうな、とそんな気がしています。あの子は強くて優しい子なんだと。私はこれで、平日の点滴は自宅で出来て、治療は長くても、何とか長生きさせてあげられると思っていました。ちょうどニュースで、東大の先生がネコの腎臓病を治すAIMの研究をしておられるというのを聞いて、必ずそれまで、それまでの辛抱だから、なんとかミカンを生きさせたいと思っていました。

 自宅点滴の1日後、病院へ行って点滴と血液検査をしてもらいましたが、その数値を聞いた時には涙が出ました。看取ってあげて。お薬も嫌がるならもうあげなくてもいいから。と言われた時には心の準備も何も出来ていないのに地獄へ突き落とされたような感覚でした。次の日は病院で点滴をしてもらい、自宅での点滴用に輸液セットをもらって帰りました。帰宅後に、ものすごく大好きなカツオのおやつを3本も食べました。え?あれ?と思うほど食べてくれました。お腹すいてたの?と思うほど。まずい方のお薬をやめて、別のお薬に切り替えてもらったばかりで、もしかしたらそのおかげかもしれない、ぜったいに生き延びてくれ、もうAIMが出来るまでは絶対に、AIMがせめて年内にできれば間に合うから、とそう思いたかった。

 万が一のために、ミカンのゲージの前で寝ている日が続いていましたが、カツオのおやつをたくさん食べてくれた次の日の朝、ミカンちゃんが小刻みに震え始めました。先生に電話したら尿毒症の症状でけいれんが出たかもしれない、連れてきてくださいと言われました。

 私はこの日は、もうダメな気がしました。皮下点滴なら我が家でしてあげたい、もう今日なのかもしれないと思いましたが、先生は静脈注射で治療をしてくれるというので、あぁ、まだ助かる、助けなければ、きっと助かるはずだからと朝一で連れて行きました。

 連れて行くときに、ミカンはシャーと言って尋常でなく怒りました。もう体力もなくて、この子が怒るなんてと本当に嫌な予感がしていました。

 病院についてもまだけいれんしていて、それなのに、シャーと言って先生にも怒りました。心配で嫌な予感がしてたまらなくて涙が止まりませんでした。年休も使っていたので、その日は入院させてもらって、夕方に迎えに行くことにしました。そんな日に、こんな時にも仕事に行くのかと思うと自分が呪わしかった。でもミカンが死んでしまう心配ばかりしていては仕事に就くこともできないし、今後AIMの治療薬が出来るまではミカンは生き延びなければならないんだから、今日は心配で仕方なくても、そんな縁起でもないことを考えることも悪いことだから仕事に行かねばと自分に言い聞かせて仕事に行きました。

 でも今日がその日でした。

 仕事から帰って病院へ向かう電車の中で、病院からの電話が鳴りました。絶対にいやだ、悪い連絡なんだ、と思いましたが、息を引き取ったとの連絡でした。これから遺体をきれいに洗ってくださるということでした。さらに悪いことに電車は人身事故で遅れていました。遅れている電車に乗りながら、泣きながら、あぁ、死んだ子を迎えにいくなんて、一体、私はどうしたらいいんだ、死んだ子を連れてかえって、ミカンが死んで私はどうしたらいいんだともう内臓がえぐられているような思いでした。

 病院に着いたら!!!

 先生の声を忘れることは出来ません!「ミカン生き返った!あの後、シャンプーをしていたら息を吹き返して!いま待ってるで!」と。私も泣き叫びながら病院の奥に通してもらうと、酸素ボンベを付けて、ミカンは私を待っていてくれました。

 タクシーで帰る途中、車の中で死んでしまうのではないかと思い、ずっと体をさすっていました。体は冷たくなってきて胸が動いているのを見ていないと怖くて仕方なかった。あと少しやで、もう少しで家やから、と言いながら、短い距離がとても長く感じました。家に着いて、ミカンのお気に入りのクッションへ寝かすと、か弱いながらもゴロゴロと聞こえました。

 ミカンの家はここで、私はミカンのお母さんで、ミカンにはこの家に大好きなネコちゃんたち家族がいるから、ミカンは強い意志で戻ってきてくれたんです。ミカンを家に連れて帰れて良かった、生きて戻ってきてくれて、あの子は世界一の親孝行のいい子だ、私は本当に幸せ者です。

 ほんの数分だけとりあえず他の子のトイレを掃除してゴハンを用意して、後にも先にも他の子の用事をあんなに秒で出来たのか不思議に思いましたが、ミカンが戻ってきてくれた時間を1秒も無駄にはできない、暖かくしてあげてと言われたので電気毛布を用意して寝かせていましたが、あまり暑くてもいけないとも言われていたので、もう私の膝の上でいいよねと楽な姿勢でいられるように横になってもらいました。

 ミカンは元気な時には決して人間に抱っこなどさせる子ではなかったけれど、膝の上にねかせて、櫛であの子の体を優しくとかしてあげて最後、数時間を過ごしました。私は世界一の幸せ者です。一度は死んだと思っていたのに、生きて戻ってきてくれて、ミカンと最後のお別れをすることが出来ました。ちゃんと話が出来ました。息を引き取る瞬間は、あの子が寂しがるといけないので胸にしっかり抱っこしました。

 ミカンはこの家が大好きで、私の事も他の子もみんな好きだと。本当にありがとう。不肖の私があの子の親を名乗るのもおこがましいかもしれないけど、私はあの子のお母さんであり、保護者で、乳母であり、掃除婦で、世界一の幸せ者でした。

 次の日は丸1日、ずっとそばにいて、お葬式を出すのがとてもいやでつらかった。でも、あの子の保護者として恥ずかしくないようきちんとお葬式をして、あの子が頑張ってくれたのだからきちんと遺体を傷まないようにして、送り出さなければと思い、葬儀場へ予約をしました。我が家からお葬式を出すのは3度目です。エミリーと珠とミカンと。

 

 あの子は世界一いい子です。私は世界一の幸せ者です。あの子の大好きだったこの家で、これからも、強く生きていきます。他の子たちを幸せにしてあげたい、必ず守り抜いていきます。快適に過ごせるよう、きれいに掃除をして、ゴハンを用意して、お医者さんへ連れて行って、幸せに長生きしてほしい。

 ミカンがいなくなってさびしい。泣き叫びたいほどつらい。実際に泣き叫んでいたら他の子が不安がったから、さびしいのはあの子たちも同じで、私はこの家を預かるあの子たちのお母さんだから、しっかりしないといけない。強くならないといけない。

 でも、ミカンはまだ若すぎて、もっと一緒にいたかった。もう少しで会社をやめて、私の第二の人生を、ミカンと一緒に過ごせると思っていたから。

 家をきれいに掃除して、ゴハンを用意して、待ってるからこの家に来てください。

 天国はいつでもいけるし、ミカンちゃんは警戒心が強く人見知りするし、仲良しの子もまだこの家にたくさんいるんだから、ミカンもこの家にいてください。天国はそんなに融通が利かないところではないはずだから、ミカンは好きにしていいはずだから、この家にいてください。

 ミカンが大好きだと言ってくれた、生き返って戻ってきてくれたこの家を、私は誇りに思ってます。だからこの家にずっといてください。

 私は、不思議だけど、ミカンちゃんがこの家にいてくれていると分かります。あの子が気づかせてくれているのかな、とも思います。

 やっぱりまださびしくて涙が出ることもあるけど、ミカンはこの家にいてくれるから私はやっていけると思います。

 本当にいい子だ。ミカンはいい子だ。私は世界一の幸せ者です。でもさびしいので、みんなと一緒にこの家にいてください。

 

 

追記

 動物病院の先生、看護士のみなさま、ありがとうございました。先生方がミカンの息を引き取ったあと、体をきれいにしてくれていなかったら、ミカンは息を吹き返せなかった。治療もさることながら、先生方の愛情に本当に感謝しています。ミカンちゃんとこの病院は運命だったのだと思います。

 シャンプーの刺激が蘇生につながったということはとても分かります。あの子は櫛でとかすのが好きでした。マッサージ効果があるのかリンパを少しでも流せるならと私も櫛でとかして手でなでていました。最後まで使っていた櫛を一緒にお棺に入れようかと思いましたが、あの子が大好きで使っていたもので、他の子も使っていました。だから手許に残しました。ミカンは欲しかったかな?と思いましたが、ミカンの使っていたものを、私は手許に置いておきたかった。新しいものでなくて。それに、ミカンが戻って来た時に困るからと思ったのもあります。不思議とそう思います。この櫛で、他の子みんなの毛をこの先ずっととかしてあげたい。

 先生や看護士のみなさまに感謝しています。先生も、こんな事は初めてだとおっしゃっていました。ミカンの意思が通じた、ミカンちゃんは思えば避妊手術からすべてこの病院でお世話になってました。ミカンはこの病院のホテルに預かってもらったこともありました。深い縁があるからこそミカンの意思が通じたのだと思います。ミカンの意思が通じるから、呼び戻してくれたのは先生方です。ミカンちゃんがお薬を嫌がっていたけど私はチュールに混ぜて無理やり飲ませて、抵抗した時にあちこちミカンの体は汚れてしまっていました。先生方の、最後にきれいにしてあげようという優しい気持ちを思うと本当に有り難く涙がでます。その気持ちがミカンを呼び戻してくれました。本当にありがとうございます。ミカンのことを最後まで診てくださり感謝しています。ほんとうにこの病院で良かった。ミカンとこの病院は出会う運命だったと思います。神仏などの力ではないとはっきり分かります。ミカンの意思です。先生の本当の優しさです。ミカンの最期を家で迎えられたこと、ミカンが私に与えてくれた優しさと愛情が分かります。私は世界一の幸せ者です。目にみえなくても家にいることは分かります。それがさびしいこともありますが、私はあの子がいてくれるからやっていけます。考えもできませんが、あのまま死んだミカンを連れて帰っていたら私は今、こうしてやっていけるとは思えません。ミカンはそれをわかっていてくれたんだと思います。『生きて家に帰りたい、お母さんと一緒に。迎えにきて。家に帰りたい。みんなのいる家に帰りたい。あの家が私の家だ。』そう思ってくれて戻ってきてくれたあの子は世界一の親孝行の子です。私は世界一の幸せ者です。泣いては申し訳ないのだとあの子に思います。

 病院のみなさま、本当にありがとうございます。これからも、どうぞ、他の子もこれからもどうかみてあげてください。